校長挨拶
2012/1/14
受験生・保護者各位
入試直前ご挨拶
駒込中学・高等学校 校長 河合孝允
受験の時期となりました。最後まで自分を信じて平常心を貫いて頑張って下さい。以下に『学び』について記載しておきます。ライフスタイルに役立つ「生きた知識学力とは何か」について考えていただけたら幸いです。合格の先にこそ学ぶ目的が必要なのです!
「学び」
知識や能力にはハードとソフトの2つの面があります。そのソフト面とは、いわゆる「人としての賢さ」と言われる智恵の使い方のことです。
昔は多人数の兄弟姉妹や同世代が群れて遊ぶ中でこの賢さを学んで行きました。同じ事でもそれぞれに同意してもらうには相手に応じたものの言い方が大切であり、言い方ひとつで結果がことなることを自然と学び取りました。群れの遊びの中で我慢したり、妥協したり、譲ったり、強く主張したり、喧嘩したり、仲直りしたりして、理屈を通すだけではどうにもならない人間関係の世界があることを幼児期から学んでいきました。このような、相手や状況に合わせて結果を出していける知識や能力を「ソフトな知識・能力」と呼びます。ハード的にきっちりと論証的に相手に説明する学力とは異なります。
現在の生徒の皆さんの成育環境は激変しています。「孤立型生育環境」と呼ばれます。男女ともサッカーをやったり野球をやったりスケートをやったりスイミングをやったりと群れているように見えながら、実はそこには大人の指導者目線でのルールが作られており、自分たちが衝突しながら作って行く世界は消失しているのです。アメリカでは既にこの事に気づいており、遊びにおける「生活指導アドバイザー制度」が立ち上がっています。彼らは子供たちにテーマを与え、群れさせ、自分たちで問題解決させて行かせるチューター的役割に徹します。トラブルが生じても子供たち自身に解決させて行きます。今、全米で最も人気の高い大学授業がNHKで放映されていましたが、これも同じ指導法に基づく授業です。一つのテーマに対し、各自に思いつくだけの意見や主張を述べさせ、それに基づき相互にデイベートさせ、発想力と編集力を育成させて行く授業です。アメリカは徹底したマニュアル社会であり仕事上の個性は禁じられます。しかし同時に、その殻を破って成功しアメリカンドリームの体現者へは惜しみない称賛が与えられて行きます。そのアントレプレナー(起業家)を育成するゼミが人気を博しているのです。ハードコアな能力ではなく柔軟性を持ったソフトな能力を育成し始めているのです。
この「ソフトな知識能力」は、アバウトでありながら、決していい加減でもなく、的外(まとはず)れでもなく、それでいて、相手の感情や心情にマッチした話の組み立てができる知識・能力の事をいいます。今、日本の子供たちは「核家族・少子化・塾通い・ゲーム遊び・バーチャル化」という孤立型環境の下で、ハードな知識は親以上に身につけながらもそれを使いこなすソフトな力に欠けて育っています。学力はあっても就職できず、「東大は出たけれど?」という種族が生まれています。すでに「東大→フリーター」の時代は始まっているのです。窓際族を養う力は日本経済の疲弊で大企業と言えども不可能になっているからです。
このことは「問題解答能力」に関しても同じことが発生しています。算数や数学の問題で、相手に対して説得の為の証明はできなくても、なんとなくわかって問題が解けてしまう場合があります。これを「賢さ」と言います。賢い子は直感で解けてしまうものなのです。この賢さが育たなくなっているのです。
国語や英語の文章で知らない漢字や単語があっても、全体の流れから情況的に推察してその漢字や単語のおおよその意味をつかんで楽しみながら読み進めて行ける子供が賢いのです。土地勘のない駅に降りて、地図も無いのに凡その見当をつけて、目的場所にたどり着ける能力もまた「ソフトな能力」なのです。
つまり、「ソフトな能力」とは「総合的な智の編集能力」のことなのです。そのベースにどれだけ豊かで深い感性領域での自己体験があったのかが問われるのです。
「臨床の智」というものがその本質を証明します。末期癌患者に正確に死期を伝える医者が有能な医者ではありません。生きる希望とその意味を与え続けられる医者。豊かに心の動きの編集ができ、患者の心に届く言葉を持ち、想いに寄り添える医者が有能な「ソフトな能力」を持った医者なのです。今、日本ではこの種の医者が絶滅危惧種の時代なのです。そしてそれは、学校でも同じなのです。偏差値表を提示して正確に能力判定する教員はいくらでもいますが、生徒の「勉強ができない悲しみや痛み」に寄り添う力の無い教員が増殖しているからです。
人生が教科書通り行く分けはないのです。
そこに泣いている人がいれば足を留め、自分の人生の方向性を変えることなどいくらでもあることです。又、それができてこそ人なのです。ロボット型の人生を大量生産したところで人社会が豊かになるはずもないのです。
子供はお母さんやお父さんに誉められた時、嫌いなピーマンでもキャロットでも食べるものです。「えらいね!良く食べられたね!」と誉められて、我慢して食べている間に偏食が治って行くものです。算数嫌いも国語嫌いも、理科や社会の苦手意識も、要は、愛情ある励ましの言葉がけで、初心を貫(つらぬ)かせられるかどうかの問題なのです。甘やかしとは違います。子供が喜ぶからと、砂糖をまぶしてご飯を食べさせた場合は虫歯ぼろぼろになるだけです。嫌いな教科を好きにさせ偏食を直させてこそ学校なのです。
現代は情報社会です。情報に埋もれて生きています。この時大切なのは、細かな個別知識よりも、大まかに景色を俯瞰して味わえる総合能力を身につけることです。味わうためにはエッセンスが抽出されていなければなりません。即ち、要約能力が身についていて瞬時に大意を読み取っていく能力が大切なのです。人社会で一番大切な能力です。テストで言えば、千二百字の文章を読ませて「三行100字以内に要約しなさい」と出題されて、的確に答えられる能力のことです。
大学院の入試問題で分厚い英文の学術専門書を一冊与えられ「これを90分で要約しなさい」と出題されたとき、辞書を片手に一ページから翻訳した受験生は時間切れで全て不合格でした。合格したのは流し読みで要点箇所を漏らさず要約した学生だけでした。智の編集能力の差がでたのです。Ifは「もし」と訳すのではなく「なら」で良いのです。Butは「しかし」ではなく「が」で良いのです。そのように訳した文の方が日本語になるからです。このセンスが学力の差なのです。
入試の時期が近づきました。中高入試は大学入試とは異なります。どのような「自分探しの旅の出来る教育環境を選ぶか」が学校選びの基軸になるべきです。
心の偏差値EQこそが大切な基準値なのです。皆さんの成長に神の休戦はありません。四季の風に染まりながらただひたすらに伸びて行けば良いのです。努力に勝る王道なしです。皆様方とご縁が出来ます事を祈念申し上げ、入試直前のご挨拶と致します。
山路きて なにやらゆかし すみれ草 (はせを)